人間を被る。

 

 

 

仕事を始めてからというもの、泣かなくなった様に思う。

いや、泣けなくなった。

 

私は昔から、泣いたと発信してしまうことを嫌っていた人種であるし、今でもそれは変わらない。

そもそも、心を動かされる瞬間というのはもっと個人的で、その個人だけの理由で、この個人だけで涙を流す方が、なんだが切ない気がするからだ。

 

今日は泣かなかった。いや、泣けなかった。

 

仕事を始めて、心を動かさない様に無意識に考えていたのかも知れない。

感情に、私情に囚われないのが大人だと思っていた。

 

そして今では、感性が死んで、泣けなくなったと思う。

感性は使い切るべきだし、感性は死んでいくものだと知った。

そもそも、本気で何かを見せてくれる物や人に対して、感性を使い切らないことはある種の不誠実だと、今となっては思う。

 

そのことにようやく気付けた。

 

歩くこと、見ることがめっきりと減ってしまうあの景色、あの街。

乗ることが少なくなる終電。

もう二度と一緒に働くことはないであろう上司。

 

思い返せば、感慨に浸ることが出来る思い出。

思い出と云うには少し生暖かいこの記憶を、私は忘れて、思い出にしていくのだろう。

 

感性を殺すな。今ではそう思う。

 

 

 

 

いつも歩いていた街には、その一瞬に全てを賭した様に桜が咲き誇っていた。

 

今日の街は少しだけ、

朝の陽光を浴びた葉を滴る雨の雫の様に、

輝いていた気がした。