詭弁論者

 

 

新生活。転換期から早くも2ヶ月が過ぎようとしている。

季節は移ろい、人間関係が川の様に流れ、人の気持ちも覚悟もまた然り。

 

かく言う私も、この短期間で随分と生活が変わってしまった。

仕事が変わり、人間関係が変わり、そしてそれは人すらも変えてしまう。

 

あれほど大切にしていた本も、読む時間が減った様に思う。

 

帰路につき、私の様な不勉強な者では少々持て余すあの時間、画面を眺めることが増えた。

たぶん、誰かとの繋がりを感じていたいからだ。

やはり、独りは寂しいのだ。

 

寂しいと言うには少し重ね過ぎてしまった齢。

歳を重ねるにつれ、更新していく価値観。

変わっていく自分の中で変わらないものを抱きしめて、敷かれたレールを踏みしめて歩きたいと思う。

 

ネガティブな自信家故に、1人で生きていくと覚悟したあの日から、私達の関係は変わらぬままだ。

この日々が続けばいいなと思っている。

 

でも、それでも、本当は気付いている。

変わることを恐れて、変わらないことを望む関係を、本物と呼べるのだろうか。

本物の想いに蓋をして、笑顔を貼り付けて続けていく関係を本物とは呼ばないのではないか。

人生四半世紀が近付く中で、そんなことをふと思う、梅雨の夜。

 

ただ、私達は偽物だと確信しつつ、それでも尚、私は欺瞞に満ちたこの関係を愛している。

 

「ここではないどこか?いや、このままでいいよ。ずっと変わらなくていいよ。」

 

変わらぬものなどない、偽物には少し厳しいこの世界で、変わらぬものを愛し続けて明日を生きていく。

私は煙を吐きながら、燻るこの思いを文字に起こすことにした。

 

夏を目前に控えた梅雨の夜。

少し湿った夜風に当たりながら煙を吐くこの5分間は、宛ら本物の世界からの逃避行だ。

 

降り頻る雨の音が、歩き続ける偽物の私を囃し立てている様な気がした。